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月花星月

詩と写真を中心にした月花星(a sa no)のブログです。

ふらっと、
なんとなく「迷い込んだ」ように「帰って」きた、みたいだ。

部屋は、無造作に物が置かれていて、一部埃が積もっている。
多分、最後に人が入ってから10年くらい(いや、もっとかも)経過しているような空気だ。

あ、そういえば、この部屋、借りっぱなしだったんだ、とふと突然思い出した。

分厚い写真集が何冊も床などに無造作に置いてあって、そういえばこんなの買ったなぁ、と思う。
森山大道
アンリ・カルチエ
有名なファッションフォトグラファーのものなど。

ここの家賃、凄いことになってるんだろううなぁ、何年払ってないんだっけな?と貯金もないのでどうしたものか、と考えつつ、そういえば口座から引き落とされてはなかったな、と思う。

誰かと一緒にいたような。

よくわからず、眼を覚ます。

あの写真集、売れば家賃払えたかも。
と目覚めてそのあとに思った。

近所の桜の樹が凄い。
広い空き地の真ん中に一本だけ生えているので、その場所では独壇場だ。
その上、積もった雪が樹を中心に円形に融けていく。
春は着実に近づいていると感じた。

先日夢に出てきた社が気になって、軽く参拝。
夢で観た立ち位置で階段が続いていた方向を見上げて、微妙に位置を調整してみる。
あぁ、6kmと書いたけれど600mくらい階段が続いていたと思い出す。
その方角を水平に見ると建物の隙間から広場の桜の樹が見えた。
あの樹の上に旧い社があったんだな、と思う。
それが何を意味するのか、たぶん「意味」など人が勝手に後付けするものだから、意味などないと思う。

でも、なんか面白いなぁ、と思うのだった。

でも現実の社が今もきれいにされていてよかったと思った。
今は近所の公園の裏手にお稲荷さんの社がある。

公園から奥まった住宅の裏手だから、表からは見えない。
その奥に雑木林があって、小学生の頃は、夏場の昆虫採集に通ったので通り道だった。
十数段の階段を上がり、社に挨拶をする。
クワガタ虫が取れますように…とか。

大人になってからは、その社の存在は知っているけれど、お参りすることはなくなった。

相方と公園の前を通りかかり、「あそこに神社があるんだよ」と話した。
なぜか公園からも見えた。
比較的きれいになっていた気がした(階段だけは昔のままで荒れていた)。

ふと反対側を見上げると、長い階段が伸びていた。とても古い山にある神社のすり減った階段のようなのが6kmくらい直線的に登っている。
頂上には、荒廃したような古い社が見えた。

あぁ、下に建立されたんだね、などと話しながら、その階段の途中をカメラで撮影すると、傾いた鳥居の背景が幻想的な青と赤の虹のように写った。
おー、さすがきれいだなー。

でも6km階段かぁ…

というところで目覚めた。

不思議な夢だったので、なんか特別なご神託でもあるかと思ったけれど、特になにもないようです(笑)。
新年明けましておめでとうございます。

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写真は大晦日に参拝した大国魂神社。

昨日、初詣に行くと…

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鳥居を潜って1時間並びました。

ブログの更新は、あまりできていませんが、本年もよろしくお願い致します。

ここ何年かの世の中の変化と、自分自身の環境変化は著しいです。
特にいつのまにか50年もブラブラ生きていると考えもどんどん変わっていきます。
それが良いのか悪いのかは、自分自身では解らない部分もありますが、まぁ、良くなっていくようにしたいものです。

昨年は、カメラ屋さんを始めて、ほぼ初の自営業で商店主になりました。
おかげさまで、なんとか年は越せましたが、まだまだ全然経営できてないし、試行錯誤の毎日です。
明日が木曜日で定休日なので明後日から仕事始めです。

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それはそうと、ここ1年以上仕事の変化もあり、バタバタしっぱなしで、以前お手伝いしていた山のお仕事からまるで遠のいてしまいました。
今でも山にいた方が体調良いので、本来山で暮らすべきなのかもしれませんが(笑)、運命の道筋は、街で暮らす選択となってます。

ふと、10代の頃から考えてきた地球環境とかを今こうして年を重ねて考えると、結構、「ひと」という者がどんなモノなのかという環境との関係を通して、地球環境に対しての見方が変わっていきました。

緑を大切にしよう。
かけがえのない地球のために自然環境を大切にしよう。
それを本当に実行するには、人類は居ない方が良いのでは?と以前からちょっと思ってはいたのです。
でも、私たちは、社会を通して存在する場合、人類絶滅を考えるわけにはいかないので、公害を出しつつ、ほかの生物を結果的に絶滅に追い込みつつ、自分たちも苦しみつつ、自然環境を破壊しながら資源を使って生きて行き、やがて自分らの過去の歴史からの「結末」にたどり着くという生き物なんだなぁって思うに至っております(随時更新中w)。
だって、人が手入れをしない山は荒れていく、と言われれば、人の世の尺度での短期的にはそうだろうけれど、100年以上人が居なければ、意外と人が理想と想像する豊かな自然が蘇ると思えるし。
噴火で全島避難して何十何かした某島とか、帰島した時の海は凄く豊かになっていたじゃないっすか?w
そんなわけで、今思うと急進的な自然環境保護には違和感を感じるようになったのは、初めて地球環境に興味を持った頃から35年の変化です。

でもやっぱり、あまり人が居ない山や海がすきでたまらず、写真撮るのももっぱらそちらの方が落ち着くのは、あまり口に出してはいけない「ひとなんか地球からいなくていいんじゃ?」というタブーを秘めて矛盾に生きているからなのかなぁ…って言って、自分自身も神さまでもなんでもなく環境破壊の害人なんですよ(笑)。

そういう随時変化する自分を受け入れつつ、今年もどう生きるか前向きに想像しているお正月です。

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戌年。
仕事でDAVID BOWIE の家に家屋調査に行った。
新築の広い家で2人住まいだった。
庭が日本庭園だったりして、私たちは、調査して、施主であるボウイと打ち合わせしていた。
私は、助手だったので直接話すことはなかったけれど、ボウイが調査員の皆をパーティに招いてくれて出席した。
その家で行われたホームパーティには、外国人しかいなくて、英語を話せない私は、ちょっと困った。
家の図面を見るとかなり大きい。立方体主体のディティールで両隣りに同じ規模の住宅があった。
記載されていた住所は、渋谷ヒカリエだった。
主要道路から一本裏手ようで、前には、小さな商業ビルが並んでいた。

パーティのテーブルにはいろいろな料理が並んでいた。なぜか唐揚げが目立った。となりに座っていた子供が腕を組んできて、僕らは、席を立って本棚みたいな棚の前まで行った。
棚には、商品のような新品のファイルが並んでいて、一冊を抜き出して見てみると、2L写真ファイルくらいの大きさのクリアファイルで不織布の部分が紫色のプリント模様になっていた。なんかハロウィンのデザインを思い出した。
その子と席に戻るとその子は、離れて行った。
テーブルの上の料理は、減ったいて、唐揚げばかり残っていた。なぜか茶碗にご飯を盛って渡されたが、手をつけずに唐揚げを見た。
唐揚げは衣が透き通っていて骨が見えたので、中身がないのかな、と思った。
手前に盛ってあった唐揚げを齧ると味が感じられなかった。

なんか、この世じゃないような、そんな気がして目覚めた。